イレコミ!ドラゴンズ

黄金期の軌跡を形に残しときたくて削除せず放置してます
[中日ドラゴンズ] [スポーツ]

                                 


                             三重の星、満弾!


○中日11-2ヤクルト

代打満塁ホームラン―。
三重生まれのニュースターが、開幕直前にド派手な猛アピールをやってのけた。


思えば2006年の大社ドラフト、7巡目で指名された西川の第一印象は「地味」そのものだった。
鳴り物入りでプロの門を叩いた大引(オリ)らと共に法大の秋春連覇に貢献した実績はなかなかのものだが、
特に驚くような長所があるわけでもなく、毎年入団する内野手の一人、といった感じで話題にもならなかった。

それはキャンプが始まっても変わらず、主役は常に同期の浅尾、田中、そして堂上直が中心で、
西川の役柄はと言うと、いつも端役。余程の事がなければ紙面に載ることさえ稀だった。

実際、当ブログでも浅尾、田中、堂上直を扱う記事は何度も書いたことがあるが、
西川個人にスポットライトを当てた記事は今年に入るまで一本も書いたことがなかったと思う。

今となれば私のファンとしての先見の目の乏しさが恥ずかしくなる限りだが、
それくらい西川というのは特筆すべき点の見当たらない地味な選手だったのだ。



だが、しかし―、そんな陽の当たらぬ西川のことを、見る人はちゃんと見ていた。
入団当初から、そのキャラクターを「いぶし銀」と表現し、「イチオシ」と断言した男がいる。
その男の名は、




                                 

                                 宮部和裕!



ご存知CBCにて、露骨な中日贔屓の実況で人気を博すアナウンサーである。
この男が昨年1月12日に更新した西川絶賛のブログ記事を見つけたので、紹介しよう。


http://blog.hicbc.com/blog/ana/archives/2007/01/12/3065.php


・・・「昭和時代のプロフェッショナル」、うん、いい響きだ。
どことなく入団当初の井端に似た雰囲気があるのも確か。

今日放った満塁弾は、あるいはルーキー時代に二軍で落合博満が江川卓から打った本塁打のように、
未来永劫「懐かし映像」として色んなところで紹介される歴史的な一発になるかもしれない。


プロ2年目、誰よりも早く陽のあたる場所への挑戦権を得た「三重の星」が、流れ星でないことを祈る。


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三重県の星


○中日6-1横浜

中日ドラゴンズは地図的に東海地方のチームだが、
一般的に東海地方は愛知・岐阜・三重の三県に区分されている。

この三県に住む野球好きは、三重の南部を除いて8割方が中日ファンと考えられ、
タクシーで「野球どうだった?」と聞くと中日の結果を真っ先に教えてくる土地柄である。

そのため地元住民は「中日=名古屋」ではなく「中日=東海」という印象を抱いており、
当然この三県出身のプロ野球選手には和田のように昔からのドラゴンズファンが多い。

しかし、ここで注意すべきは、中日のホームエリアだからと言って、
必ずしも中日の選手が三県・・・特に三重県から輩出されているわけではない、という点である。


過去、最も大成した選手が豊田(巨人)では少々インパクトが弱いし、
第一地元の中日で名の知れた選手が過去一人もいないのは寂しすぎる。

赤福や松阪牛、伊勢えびなど、食文化に関してはやけに豪華だというのに、
野球選手の生産量と質は愛知・岐阜に大きく劣る不遇の県・三重。

だが、中日と三重の微妙な関係に終止符を打つべく、今ノリにノッている若者がいる。





                         

                多気郡出身・西川明である



ルーキーイヤーこそ実力を発揮できぬまま二軍で悔しい日々を送ったものの、
今季はキャンプからアピールに成功し、現在まで一軍帯同を続けている。

18日の巨人戦で代打出場し右前へ強烈なゴロヒットを放ち、
翌19日の横浜戦ではスタメン出場を果たして4打数2安打と結果を残したのだ。

そういえばキャンプ序盤には特製の矯正マスクで練習に励んでいるという話題もあったが、
守備も無難にこなしているようだし、将来は岩崎、谷らと共に内野の一角を争う選手になりそうだ。



ちなみに私、3歳~18歳を三重県で過ごしただけに、西川は猛烈に贔屓していこうと思う。
頑張れ、西川!植木等、野口みずきに続く三重の星になれ!

過去の中日選手で一番大成した三重出身者が koyama01.jpg ←この人じゃ、ちょっと寂しすぎる。

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                            マニエルⅡ世


30年くらい前、チャーリー・マニエルという外人バッターがいた。
ヤクルトと近鉄に計6年在籍し、5度の3割、4度のHR30本以上(うち2度は40越え)を記録するなど、
70年代後半のプロ野球においてトップクラスの成績を誇った脅威の強打者である。

マニエルと言えば、アメフトのような顎のプロテクターがあまりに有名だ。
1979年6月9日のロッテ戦で八木沢から顔面に死球を受け、顎を複雑骨折したにも関わらず、
なんとマニエルはわずか14試合の欠場を経て復帰。
その時に着用していたのが、特製の「あごガードヘルメット」であった。
驚くべきはこのシーズン、マニエルは欠場の影響で97試合出場ながら37本塁打で本塁打王を獲得、
近鉄のリーグ初優勝に貢献し、さらにはMVPまで受賞してしまったというのだからビックリ仰天だ。



さて、ところ変わって沖縄キャンプ。
連日の猛練習にそろそろ若手は悲鳴を挙げる頃だろう。
しかしこれも、一軍で活躍するための試練。
やがては、それこそマニエルのような強打者になるための大切なステップなのだ。


そんな中、なんと北谷に「和製マニエル」が現れたというではないか。
待望の和製大砲出現か?それともベテランがサク越えを連発しているのか?
沸き返るファン、マスコミの視線に先にあったのは・・・、





                     

                        和製マニエル!?



・・・ではなく、打撃フォーム矯正のため、工作した特製ヘルメットを着用した西川だった。
なんでもガード部分が邪魔になり、必要以上に首が動かないようになるのだとか。

誰が考えたのか知らんけど、これで西川が覚醒したらノーベル章をあげても良いと思う。