イレコミ!ドラゴンズ

黄金期の軌跡を形に残しときたくて削除せず放置してます
[中日ドラゴンズ] [スポーツ]




就任時に一年間の補強凍結を標榜した落合監督だが、実際には全く動かなかったわけではない。
手始めに巨人を引退したばかりの川相昌弘をサプライズ復帰させ、広島を自由契約になった筒井正也も獲得。
そして12月には横浜を退団したこの黒人投手に声をかけ、三人の新戦力を迎えてのシーズンインとなった。





ドミンゴ・グスマン



黒人特有の長い手足と異常な身体能力を生かしたプレーぶりは残念ながら長続きはしなかったが、
04年は川上・山本昌に次ぐ第三の先発投手として優勝に大いに貢献したのは紛れもない事実である。
落合監督に「なぜ横浜が出したのか分からない」と言わしめただけのことはあり、獲得は大成功だった。

だが、ほとんどの方が翌年以降の彼に関する記憶は飛んでいるのではないだろうか。
それもそのはず、05,06年と一応三年間中日に在籍したものの、故障などもあって使い物にならず。
06年途中には練習放棄で懲罰降格を命じられ、それがきっかけで即退団となった。


後に同じようなタイプのネルソンが周知の成功を収めるわけだが、ドミンゴはなぜ長続きしなかったのか。
入団時はルールも知らなかったネルソンに対し、ドミンゴは横浜での実績もあり幾分かマシだったはず。
ところが身体能力任せから脱しようというやる気が無かったのか、技術面があまりに拙くボークを連発。
そこから必死で森コーチに鍛えられたネルソンと違い、ドミンゴは向上心が欠けていたのがもったいなかった。


象徴的なのがこのシーン。









静止画だと全く伝わらないのが申し訳ないのだが、04年日本シリーズ第7戦でのボークのシーンである。
もちろんこの舞台に至るまでにもシーズンで4つのボークを犯してきたドミンゴ。
癖とは言え、練習で修整できる部分でもあるだけに、大舞台での失態はお粗末と言わざるを得ない。

ところがその3年後、今度は楽天在籍時に1試合で4ボークというとんでもない記録を樹立。
しかもその試合で球審への侮辱行為で退場になっているのだから始末におえない。
おそらく来日以来、ドミンゴは真剣にボーク対策に取り組んだことはなかったのだろう。

高い身体能力ゆえに、なんとなく打者を抑えることができてしまう。
だがそこから先のクイックやら牽制やらモーションといった技術論に関してはノータッチ。
良くも悪くも…、いや圧倒的に悪い面が先行した豪快な投手だった。


それでも記憶の中では04年の三本柱の一角としての姿が輝かしく生き続ける。忘れられない選手の一人である。




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