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2003年秋。中日ドラゴンズは窮地に立たされていた。
この年2位ながら内部のゴタゴタで山田久志監督がシーズン途中に解任。
星野イズムを引き継いだ外様監督の政権は1年半で幕を閉じ、球団は次期監督の選定に入った。

在名メディアも連日この話題を大きく取り上げ、トピックとして非常に盛り上がったのだが、
たくさんの候補者の中から電撃的に選ばれたのは、「まさか」とも思える意外な人物だった。





落合博満



当時のマスコミ調査ではCBC解説者の牛島和彦が最有力と目され、ファンの支持も牛島が圧倒的。
落合という選択肢は一応可能性としてはあり得るが、あくまで可能性の域を超えないジョーカーに過ぎず、
当時放送していた情報番組中でキャスターの木場弘子が「落合さんの采配も見てみたい」と口にしたとき、
スタジオが「ご冗談を」的な苦笑で包まれたのをはっきりと憶えている。
それくらい「落合監督」というのは「ない」選択肢だったのだ。

ところが白井文吾オーナーは、周囲の反対を押し切って落合に白羽の矢を立てた。
なぜそこまでして落合を招聘しなければならなかったのか?いや、する必要があったのだ。
当時の中日といえば長年に渡る星野仙一統治により関係者はもちろんファンまでもが星野イズムに染まり切っており、
何をするにも星野と比較され、メディアも星野称賛で一致という独裁的な状態が続いていた。
2001年をもって星野が名古屋を離れ、阪神の人間となっても尚、その傾向が変わる気配はなかった。

このチームが変わるために必要なのは強大な戦力でも派手なホームランでもなく、強烈な星野色を一掃すること。
それに気付いていたオーナーは、毒をもって毒を制すの格言がごとく「猛毒」落合を呼んだのだろう。
もちろん猛毒はリスクも伴う。ヘタすれば取り返しのつかないことになるかもしれない。
それでも落合招聘を押し切った白井オーナーの決断は見事に的中し、球団史上初の8年間の黄金期を迎えた。



海のものとも山のものともつかない落合監督を支持しようと私が決めたのは、ユニフォーム一新を発表したときだった。
これでこの政権ならびに球団が星野色一掃を目指していることが明確になり、そのスタンスに賛同できたからだ。
一方で長年星野イズムに浸ってきた旧来ファンが8年間でずいぶん離れたのも事実。
このあたりの問題については各所で散々語り尽くされてきたので敢えて触れる気はないが、
要は価値観を勝利に置くかエンタメ性に置くかで意見が真っ二つに分かれる話なので、
いつまで経ってもシンパとアンチが平行線のままやっかみ合うのは当然っちゃ当然だろう。



さて、以前書いたように当ブログは今日をもって完全に落合中日を過去に封印する。
来季の結果がどうあれ「落合なら」とか「落合のせいで」とかは一切書かないつもりだ。
明日2012年1月1日からは、高木政権というチームを皮肉なしに応援したい。

とりあえず今日が一つの区切りとして…、長らくのご愛読ありがとうございました。
また来年、新しい風の吹くジョイナスなこの場所でお会いしましょう!




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この記事のURL | 2011.12.31(Sat)14:00 | 落合博満GM | Comment : 04 | Trackback : 00 | 




09年秋、長きに渡って中日を支えてきた二人の選手がユニフォームを脱いだ。
一人は言わずもがなの立浪和義。
引退試合の最終打席を代名詞の二塁打で飾った姿はまさに千両役者そのものであった。

そしてもう一人。あの試合の三日前、9月27日に一足早くセレモニーを終えたのがこの男である。





井上一樹



涙でくしゃくしゃになりながら戦友たちへの感謝を告げるその姿に胸を打たれた方も多いはずだ。
派手な演出こそないものの、非常に井上らしい素晴らしいセレモニーとして印象深い。


最初からスター街道を邁進してきた立浪とは違い、井上の歩んできた道は険しいオフロードだった。
ようやく一軍に定着したのがプロ入り9年目の98年。このとき既に27歳。
一気にブレイクした翌年の99年以降も、レギュラーを確約されていたシーズンは一度として無かった。

関川、李鍾範、大西、福留、アレックス、李炳圭、英智、上田、平田…。
毎年のように競争にさらされ、その中でもなんとかしがみついてきた一軍の舞台。

しかし、どんなに不調でもファンにも首脳陣にも見離されなかったのは、この男の人柄ゆえだろう。
井上を語る上でこの言葉は欠かせない。選手としての能力や技術よりも、まず人柄。
それがあっての井上であり、引退してわずか2年で二軍監督に就任したのも、その人徳の深さを物語っている。


決して突出した能力があるわけでもなく、通算成績も至って平凡。
久々にスタメンで出場したこの引退試合も、見せ場なく4タコに倒れた。
だが4打席目に凡退してベンチに戻る際、スタンドからは万来の拍手が贈られた。

スターには程遠いが、誰よりも愛された男の花道は、たくさんの涙と笑顔に彩られた。






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この記事のURL | 2011.12.24(Sat)12:20 | 井上一樹 ※ | Comment : 03 | Trackback : 00 | 




プロ野球の世界に身を投じた者のほとんどが何の実績も残さずユニフォームを脱いでいく。
普段華々しいスターたちの活躍ばかり見ているとつい忘れがちになるが、
野手ならヒット1本、投手なら1勝することがどれほど険しく大変なことか。
今日はその第一歩に完全に手が届きながらもスルリとこぼして現役を去ったある男の話。





佐藤亮太



当ブログではこの投手のことを過去に5度ほど書いたことがある。それだけ期待の若手だったのである。
しかし、まさかキャリアを0勝で終えるとは思ってもいなかった。
ポテンシャル的にも技術的にもローテの谷間を任されるくらいの能力は充分持っていたはず。
では一体佐藤亮には何が足りなかったのだろうか。私はずばり「集中力」だと思う。

人生に幾つかの分岐点があるとして、成功を収める選手はそれらの場面を必ず自分のものにする。
"ここが一番大事なんだ、ここをなんとかすれば勝てるんだ"。
いわゆる「持ってる選手」というのはそういうのを感覚的に察知して集中力を増すことができる。
それが佐藤亮には無かった。それどころか、一番の勝負どころでことごとくトチって勝利を逃してきた。


象徴的だったのが08年7月23日のカープ戦。8年間の落合中日でもこれほど残酷な場面はそうそうない。
まだプロ未勝利の佐藤亮は要所を締める投球で4回終わって4安打1失点のまずまずの内容。
1点リードのまま迎えた勝利投手の権利のかかった5回表も、単打を挟みつつ簡単に二死を取った。
二死二塁で打席には元中日のアレックス。

カウント1-2から投じたスライダーをアレックスは空振り。球審が右手を挙げた。三振である。
プロ初勝利の権利を得た佐藤亮は渾身のガッツポーズでベンチに戻ろうとした…そのとき「待った」がかかった。
「ファール」。空振りではなく、ファール。一手遅れて球審が下した判断に、一度は安堵した佐藤亮の心は大いに乱れた。

あいかわらず有利なカウントのはずなのだが、結局アレックスには四球を出してしまう。
二死一二塁となって四番の栗原。







逆転3ランを浴び、続く嶋にもヒットを許したところでお役御免。
あと一球で泣く投手は山ほどいるが、一度は勝ったはずの勝負を仕切り直して泣くのは珍しい。
あまりにも可哀そうな結末。だが打たれたのは佐藤亮自身に他ならない。これが佐藤亮の力なのだ。

もしここで勝っていたらその後の行方も変わっていたかもしれないと思うと、人生とは残酷なものだ。
同じような才能をもってプロの門を叩く大勢の若者たち。
成功するか脱落するかの分岐は、こういう場面で踏ん張れるか否かにかかっているのかもしれない。






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この記事のURL | 2011.12.23(Fri)12:54 | 佐藤亮太 ※ | Comment : 02 | Trackback : 00 | 




落合中日の8年間を彩った選手たちを思い出して懐かしむこの企画。
第6回目の今回は、球団史上でも稀にみる好成績を叩きだしたこの選手をとりあげよう。
主力を長期に渡って張った選手はできるだけ避けたいのだが、主旨に反してでも最後に書いておきたかった。





T.ウッズ



ウッズの印象に残るホームランは?と問うたら、半分以上の方があの「06.10.10」の満塁弾を挙げると思う。
確かにあれは凄かった。あの試合は現地で観戦していたのだが、後にも先にもあんなに劇的な一発は見たことがない。
中日球団75年の歩みの中でも、三指に入るであろう名場面である。
だからひねくれ者の私とて、上の質問には素直にこの一発だと答えてしまうだろう。それくらい素晴らしいホームランだった。

だが、ここで改めて振り返るにはあまりにも有名すぎるし、新しい切り口があるわけでもない。
そこで今回はこの一発が飛び出したときからカレンダーを一日戻して、前日のことについて書きたいと思う。
さすがに前日、すなわち06年10月9日の試合内容となるとお忘れになっている方も多いのではないか。


この日、中日は翌日伝説を作ることになる東京ドームから程近い神宮球場でヤクルトと戦っていた。
試合前のマジックは「2」。翌日巨人の眼前で胴上げを果たすにはどうしても勝ちたい試合だった。
結果的には大量10点を挙げて大勝(○10-1)するのだが、実はこの日もウッズはホームランを打っている。

それも、ただのホームランではない。







満塁弾である



つまりウッズは連夜の満塁弾というド派手すぎることをやってのけたのだ。
どうしても10月10日の一発だけが強調されがちだが、前夜のこの45号も非常に印象深かった。
と同時に、たぶん当時のファン全員が初めて優勝を信じて疑わなくなった瞬間だったように思う。

あたかも06年は圧倒的な強さで独走したように語られることが多いが、実際はもっと過酷だった。
8月中旬にマジックを点灯させながら、ここまで来るのに二ヶ月間、胃に穴が開くような毎日の連続。
9月29日には猛追する阪神に1.5差まで迫られたこともあった。
だからこそ、もう優勝間違いなしと言えるマジック「1」を手繰り寄せたこの一発が本当に嬉しかった。

今でも思い出しただけで涙が滲むような「前夜の一発」である。






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この記事のURL | 2011.12.16(Fri)23:38 | T.ウッズ ※ | Comment : 03 | Trackback : 00 | 




音楽業界だけでなく、球界にも一発屋というのはある。
一発屋で終わる原因は怪我だったり、不調だったりと様々だが、
落合中日の8年間で最も華やかで短い活躍をした選手といえば、やはりこの男であろう。





佐藤充



5連続完投勝利を含む怒涛の8連勝で一躍時の人となった佐藤充。
球団史上最強との呼び声高い06年シーズンを支えた立役者の一人である。
だが特筆すべき能力があるわけでもなく、なぜか勝てている状況には懐疑的な見方もあり、
連勝の真っただ中にあっても勢いが止まったときの反動を心配する声は少なくなかった。


その心配が的中してしまったのが06年8月4日のヤクルト戦だった。
初回、先頭の青木・リグスから連続三振を奪う好発進で今夜もノリノリかと思った矢先、
3番の岩村に甘く入った直球をライトスタンドへ叩きこまれてしまう。
たかが1本のホームラン。たかが初回の1失点。だが佐藤充にとって、これが悲劇の始まりだった。

唐突に勢いが止まったか佐藤充は次々と被弾し、なんとこの日だけで4被弾6失点。
5月18日から延々と続いてきた連勝も遂に「8」でストップし、以来1勝しか出来ずに佐藤充はシーズンを終えた。

今思えば、初っ端に青木・リグスから奪った三振があまりに美しすぎた。
確かどちらも3球三振だったと記憶しているのだが、解説者も「自分に酔ってる」と評した完璧な三振。
まさに「灯滅せんとして光を増す」という慣用句通り、あの三振を最後に佐藤充の灯はすっかり消えた。
球速、変化球、制球、そのどれを取っても平凡な男の奇跡のような日々は二ヶ月半で幕を閉じたのだった。


さて、佐藤充のベストゲームをひとつ挙げろと言われたら、06年6月15日の西武戦を挙げたい。
1失点完投で5勝目を飾ったこの試合。まだほころびもなく、勢いだけで打者を圧倒していた時期だ。
「佐藤充とかいう投手が、なんか分からないけど凄いらしい」。そんな情報は全盛期のカブレラさえも惑わした。







交流戦で無類の強さを誇り、アマ時代に所属していたニッセイからMVPを受賞。
KABAちゃん似のルックスイメージが先行していた佐藤充が、佐藤充という一人の投手として大成したMVP受賞だった。

今季、楽天を戦力外となり今後も球界に携わるのかは微妙だが、
職員でも裏方でもなんでも、もう一度中日のユニフォームに袖を通してもらいたい。






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この記事のURL | 2011.12.10(Sat)20:33 | 佐藤充 ※ | Comment : 04 | Trackback : 00 | 




男が人前で涙をみせることなど、そうそう滅多にあることではない。
だが感極まって自然に流れるそれは多くの人達の心を打つものである。

04年7月21日、ある男の涙が感動を呼んだ。





柳沢裕一



93年、この年から採用された逆指名制度を使って鳴り物入りで明大から巨人に入団。
だが全く活躍できずにオリックスに放出され、わずか1年半で今度は中日にやってきた。

ここで谷繁の控え捕手という役割を手にした柳沢は、遂にこの夜主役の座に躍り出た。
相手はかつて所属した巨人。しかもマウンドに君臨するのは泣く子も黙るエース・上原だ。
試合は初回にお互い1点ずつ取り合い膠着。山本昌と上原の投げ合いのまま、5回裏を迎えた。

試合は動く。リナレスと英智の連続ツーベースで無死二三塁となり、打席には柳沢。
次が投手の打順ということもあり、試合展開的にも絶対に打たねばならない場面である。
だが柳沢がここまでプロ12年間で挙げた打点はわずか「7」。
ましてやヒーローになれるようなシーンで打った経験など皆無の三流打者だ。

そんな柳沢に野球の神様が舞い降りた。
一世一代の頑張りどころで、なんと上原から2点タイムリーツーベースを放ったのである。
これが勝利打点となり、当たり前だがヒーローインタビューの壇上に登った柳沢。
そこで生まれたのが頬を伝う涙と、中日ファンの心を掴んだあの名言だった。


「僕はジャイアンツを出された人間なので…、いつか見返してやろうと思った」


苦節12年。流し続けた苦悩の汗が、涙となって輝いた夜だった。






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この記事のURL | 2011.12.08(Thu)21:58 | 柳沢裕一 ※ | Comment : 01 | Trackback : 00 | 




就任時に一年間の補強凍結を標榜した落合監督だが、実際には全く動かなかったわけではない。
手始めに巨人を引退したばかりの川相昌弘をサプライズ復帰させ、広島を自由契約になった筒井正也も獲得。
そして12月には横浜を退団したこの黒人投手に声をかけ、三人の新戦力を迎えてのシーズンインとなった。





ドミンゴ・グスマン



黒人特有の長い手足と異常な身体能力を生かしたプレーぶりは残念ながら長続きはしなかったが、
04年は川上・山本昌に次ぐ第三の先発投手として優勝に大いに貢献したのは紛れもない事実である。
落合監督に「なぜ横浜が出したのか分からない」と言わしめただけのことはあり、獲得は大成功だった。

だが、ほとんどの方が翌年以降の彼に関する記憶は飛んでいるのではないだろうか。
それもそのはず、05,06年と一応三年間中日に在籍したものの、故障などもあって使い物にならず。
06年途中には練習放棄で懲罰降格を命じられ、それがきっかけで即退団となった。


後に同じようなタイプのネルソンが周知の成功を収めるわけだが、ドミンゴはなぜ長続きしなかったのか。
入団時はルールも知らなかったネルソンに対し、ドミンゴは横浜での実績もあり幾分かマシだったはず。
ところが身体能力任せから脱しようというやる気が無かったのか、技術面があまりに拙くボークを連発。
そこから必死で森コーチに鍛えられたネルソンと違い、ドミンゴは向上心が欠けていたのがもったいなかった。


象徴的なのがこのシーン。









静止画だと全く伝わらないのが申し訳ないのだが、04年日本シリーズ第7戦でのボークのシーンである。
もちろんこの舞台に至るまでにもシーズンで4つのボークを犯してきたドミンゴ。
癖とは言え、練習で修整できる部分でもあるだけに、大舞台での失態はお粗末と言わざるを得ない。

ところがその3年後、今度は楽天在籍時に1試合で4ボークというとんでもない記録を樹立。
しかもその試合で球審への侮辱行為で退場になっているのだから始末におえない。
おそらく来日以来、ドミンゴは真剣にボーク対策に取り組んだことはなかったのだろう。

高い身体能力ゆえに、なんとなく打者を抑えることができてしまう。
だがそこから先のクイックやら牽制やらモーションといった技術論に関してはノータッチ。
良くも悪くも…、いや圧倒的に悪い面が先行した豪快な投手だった。


それでも記憶の中では04年の三本柱の一角としての姿が輝かしく生き続ける。忘れられない選手の一人である。






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この記事のURL | 2011.12.04(Sun)22:00 | ドミンゴ ※ | Comment : 03 | Trackback : 00 | 




MVPは当ブログの予想通り浅尾が選ばれた。予想外だったのは票差である。

実質、吉見との二択とあってかなりの僅差になるだろうと思われていたが、
蓋を開けてみれば1位票の差が170対70のちょうど100票差という大差だった。
救援投手としての受賞は98年の佐々木以来、13年振り史上二人目の快挙。
岩瀬でさえも経験のない勲章の獲得により、名実ともに浅尾は球史に残る名投手となった。


さて開票内訳によると、今回1位票を得たのは六人。
うち二人が浅尾、吉見で、あとの三人が内海、長野、阿部の巨人勢だ。
まあこれは毎年恒例のキチガイ巨人命記者による捨て票なのでどうでも良いのだが、
「おや」と思ったのが残る一人。最多勝の内海よりも1位票を多く取った選手がいるのである。

まだ答えをご存じでない方は予想してみて欲しい。正解は以下の通り。







浅尾と吉見をリードしたのは確かに谷繁だ。谷繁なくして連覇があり得なかったのもまた事実。
そして13年前にMVPを獲得した佐々木の女房役も、やっぱり谷繁だった。
谷繁という男は、こういう予期せぬとこでちょくちょく存在感を見せてくる男だなと改めて感心した。

なんにしたって浅尾、吉見、谷繁。今回のMVPは役割の異なるこの三人全員のものだと思う。






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この記事のURL | 2011.12.01(Thu)22:49 | 浅尾拓也 | Comment : 04 | Trackback : 00 | 
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